【日本初?!応援の会社を通じて人類を熱くする】 | メンバーブログ | アオイエ

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アオくんの家

【日本初?!応援の会社を通じて人類を熱くする】 2019.05.22(Wed)

アオイエOBOGは今?!vol3として、現代版マネーの虎"令和の虎"へ学ランで出演しプレゼンテーションの末、マネーを獲得。応援団文化と龍口健太郎さん個人の独特のバランスが今話題を呼び、現在日本初応援団の会社"株式会社令和応援団"を設立中。そんな龍口健太郎さんに現在の活動やきっかけとなった出来事、アオイエに入居した経緯から住んでみて感じたことをお聞きしました。龍口 健太郎(Kentaroh Tatsuguchi)

1993年生まれ。185センチ、78キロ、O型、好きな食べ物 カレーライス、家系ラーメン。日大豊山中(野球部)-法政二高(野球推薦しかしバスケ部)-法政大学社会学部卒(応援団)-建設会社総務部退社-楽天イーグルス応援パフォーマンス-株式会社令和応援団設立中。



【パフォーマーとしての人生】


ー今日はおやすみの中お時間を割いて下さり、ありがとうございます。現在、日本初の応援団の会社を立ち上げているそうですが、まずはこれまでどんな経歴だったのかを教えていただきたいです。



少し遡りますが、応援に目覚めたきっかけは18歳の頃です。

もともとパフォーマンスを通じて人や場所を盛り上げるのが好きでした。

親父が昭和の厳しい時代に中央大学の応援団に所属していたこともあり、応援団の話はずっと聞いていました。僕もきっといつか、応援の道は通らなければいけないという気持ちが自然と自分の中にあって。

そんな親父の話を小さい頃から聞かされていたので、中高大とその学部で1番厳しい部活に入ることで自分を鍛えていました。

大学時代は、東京六大学応援団連盟の法政大学応援団で365日学ランを着て生活していて、応援以外の時間の過ごし方も徹底してこだわって、100年近く継承される伝統の型を学び、心身を鍛えていました。

SNSなどは禁止であまり表に出ることは許されない厳格な組織でしたが、東京六大学野球の応援、2,000人規模の自主ステージなどを行ない充実した毎日でした。

下級生の頃の合宿や練習はいくらお金をつまれても絶対にもうやれませんし、ここでは言えません。(笑)



【父からのひとこと】


ー大学2年生から応援団になったと聞いています。2年生から応援団に入った経緯を教えてください。



法政大学に入学しましたが、直ぐに応援団には入部しませんでした。

1年間バンド活動をしてから、応援団に入部したんです。

入部のきっかけは、高校3年生から大学1年生まで2年間活動していたバンドが空中解散したことです。

バンド解散後、応援の道に進むなら今だな、と思って「俺は決めた」と親父に伝えて応援団に入部しました。

親父からは、「お前。1年間だぶれ」とだけです。

僕の学年は2年生でしたが、1年生として応援部に入部しました。

結果的に、僕は大学で4年間応援団をやるために、大学4年時に単位をわざと落として4年間応援団に在籍しました。それが奇跡でしたね。

本当の学年で入っていると不可能だったのですが、僕が応援団4年生の頃、6年に1度だけ六大学の中で順番に回ってくる当番校が法政大学でした。

それで、六大学応援連盟委員長に選出されたんです。

何か喋る度に議事録が取られてしまうような立場で、色々な大人や企業さん、他校の学生と公的に打合せの場を持ち鍛えられました。

最初の仕事が六旗の下にというレギュラーイベントの会場決めだったのですが、62年間毎年決まって行なっていた場所が改修工事になって、会場が決まらず、各地下見やお願いで動いていたんですが、1,000人弱の連盟構成員達を背負っているというプレッシャーを感じて、人生で初めて悩んだかもしれません!いや、初めてではなかったですね!(笑)



ー初めてではなかったんですね。(笑)具体的に連盟委員長はどんなことをされるんですか?



連盟委員長として担当した活動は、東日本大震災の応援活動や、歌舞伎町まつりでのパフォーマンス、侍ジャパン大学日本代表の応援から東京マラソンの応援などです。

委員長の仕事は、主に外部の団体の大人の方々との担当窓口なんですね。

しかも、かなりの額の予算があるんです。

僕はそこで気づいたんです。これまで学生ということでブレーキをかけていたなと。

応援は素晴らしい日本の文化だから、もっと広めていきたいと思って、これまでやってこなかった営業もしました。

大手広告代理店が企画の演出に入って下さり、企画段階から携わることもありました。

学生時代はそんなことをやっていましたね。大学時代の応援団の写真(先頭 龍口さん)



【常識や現実に中指を立てるために】


ー大学を卒業後、就職されていますが、どういった経緯で就職されたんですか?



就職活動を始めようと思った理由はバンド活動が大きく関係しています。

18歳の頃、"Middle Finger to the Reality"というバンド名でバンド活動をしていたのですが、応援団を引退した後にもう1度再開しました。

名前の由来は、常識や現実に中指を立てて頑張ろう!という意味です。

つまり、常識にとらわれるな、自分の道を歩めということです。基本的にみんな頑張れ!熱くなれ!生きろ!と全ての活動において同じメッセージで動いていますね!そこは単純かもしれません。

ただ、中指を立てるにも、現実や常識を知らない奴が中指を立てていても説得力がないと思ったんです。

日本で最も多くの人が経験するのはサラリーマンだと思い、自分が励ましたい愛すべき人類はサラリーマンという職業をやっているという点から、1度サラリーマンを経験したく就職活動を始めました。

ただ、就職活動では大きな疑問を抱きました。

OB訪問の中で、文章を書くのが得意だったのでライターになった方とお会いしました。

話すのが得意だったからという理由で営業をやっている方にもお会いしました。

でも僕は、文章書くのが得意だったら小説家になるという選択肢は無かったのか、話すのが得意だったなら話し手や芸人で売れるかもしれないのにと思ってしまい、なぜ就職ありきで自分の能力を社会に適応させるかがずっと疑問でした。

そもそも就職するのか、しないのかが就職活動の始まりだと思いましたね。

なんで就職したんですか?と聞いても、大学を卒業したら就職するもんだから、という返答しか返ってこなくて。

自分は先程述べた、みんなの気持ちを知るという事をしたくて、会社に入りました。



ー退職されていますが、どうして退職することにしたんですか?実際に働いてみてどんなことを感じましたか?



僕は会社と生き方が合いませんでした。なので、入社後半年で退社してしまいました。

入社した会社では、本社の総務部に配属になりました。ビルの中で書類の確認をするのが仕事でした。僕が行っていたのは資料に目を通して判子を押すことです。

ここではお話しできないくらい、辞めようと思った理由がいくつかあるのですが、入社から退職まで僕には全く意味が分からないことばかりでした。

退職を決めたことを上司に伝えた時は、「会社に残ればクビにならず、生涯賃金で4億5000万円もらえるんだぞ。ただ、そのかわり、ここに行けと言われたらベトナムでも大阪でも沖縄でも行かないといけない。」と、言われて。

その時、僕の一生は4億5000万円で買われるのかと、違和感を抱きました。

明石家さんまさんは自分らしく周りを楽しませて、給料をもらって、仕事をして年商10億売上も出しているというデータを調べて、自分はそっちのほうがいいな!と真剣に思いました。

そして会社を辞めることを相談をしに行った際に今後の人生設計を聞かれ、スターになりますと伝えましたが、認めてもらえず辞めさせてもらうまでに2ヶ月くらいの期間がありました。

ちょうどその頃に僕はアオイエにいたんですね。(笑)



【アオイエでの生活】


ー激動の時期にアオイエに住んでいたんですね。(笑)アオイエに入ったきっかけはなんだったんですか?



高校1年生の時にアオイエ代表の青木大和と同じクラスだったのですが、その当時からクラスメイトとして夢を語り合っていました。

30歳ぐらいになったら俺ら絶対やばいじゃん。一緒に面白いことやろうな!と。

そこから大和とはたまに会う関係でしたが、2016年10月に行われたアオイエのオープニングパーティに参加しアオイエの存在を知りました。

夢を持つ熱い同世代が集まっている環境が好きで、大学4年生の頃は友達を連れて当時下北沢のあたりにあった物件によく遊びに行っていました。


今話題の昆虫食の地球少年もいて狂気を感じたり、色々なやつがいて面白いなと思っていました。

そこから月日は経ちましたが、会社を辞めたいと思いはじめたタイミングで、両親は心配して退職を止めるのですが、自分の中で踏ん切りをつけたい思いが強かったので、実家を出て自分と向き合いたいなと思ったんです。

そう考えた時に、熱い人と一緒に住めるのは魅力だと思い、大和に連絡して入居することになりました。



ーその後、退去されていますが、退去理由はなんだったんですか?



Don't Stayであります。

居心地が良くなり過ぎてしまいました。

自分の性格として、どこかに群れ続けているのは好きではなくて、アオイエから良いきっかけをもらったので、今度は外部から恩返しをしたいなとも思いましたし、エンターテイナーなので周りの人には自分に慣れて欲しくないと常に思っていたからです。



ー今振り返ってみて、アオイエに住んでみて変化したことはありますか?



今になって感じる変化や学びはありますね。

アオイエの人はマーケティングやブランディング、戦略を考える人が多く、SNSをきちんと運用したり、何やらパソコンを開いている人が沢山いましたが、当時は疑問でした。

なんでSNSをやってるんだ。発信なんかせずに本物の自分を磨いておけよ、と。

ただ、今ではとても重要なことだったんだなと思っています。

プロ野球の応援をする中で、自分が肌で感じたことですが、誰かわからずに前に出てきて話をされてもみんな不安になるんです。あいつは誰だ?と。

なので、まずは僕が誰なのかを認知してもらった方が、パフォーマンスが圧倒的にしやすいんです。

さらに、SNSを通じてお客さんが何を求めているのかの世論を把握することができるので、より盛り上がるパフォーマンスをすることが出来ます。

これまで僕がパフォーマンスに求めてきたのは、誰も僕を知らない期待度0%の状態から、期待値を200%に上げることでした。


しかし、悲しくも200%を求められていないと仕事としてプロとして生活する中で理解する事ができました。

アオイエを通じて、SNSや人から周りからの見られ方が重要だなと認識することが出来ましたね。



ー龍口さんにとってアオイエとはどんな場所でしたか?



刺激物でしたね。アオイエにいた時は、正直キツい時期で、自分が自分ではない時期でした。

アオイエを通じて出会ってくれた人が声をかけてくれたり、リビングで熱く生きようぜ!と語ったことが、結果的に僕の背中を押してくれたんだと思います。

アオイエには常に動いている人がいて、人生に働きかけてる人に出会い、話を聞いて沢山のインスピレーションを受けました。

走り出しの僕にとってはすごく最高の場所でした。今の自分を形成したのは学生時代の部活や法政大学応援団での修行でしたが、現在、今の環境に身
をおけているのはアオイエを通じて出会った人たちのおかげです。本当に感謝しています。2018年に開催された、アオイエが二軒だった頃の夏合宿。(一番左 龍口さん)



【応援団のプロに】


ー今はプロ野球団の応援パフォーマーになっているそうですが、退職後どうしてまた応援の道に進まれたんですか?



丁度アオイエを退去した頃にオファーをいただきました。

自分の生きる目的が、人を熱くする事だったからです。

応援を通じてチームや選手は勿論、そこにいる皆さんのハートまで熱く出来ると思い、応援の道に進みました。

まだ続けさせて頂いている活動でして、自分はもっと東北、そして日本全体を盛り上げていこうと、応援について
考えない日はほど本気で取り組んでいる活動です。引き続き見守って下さい!



ー昨年はインフルエンザの影響で欠場した4試合以外、全試合の応援を行なったとお聞きしています。応援していて一番楽しい瞬間はいつでしたか?



大勢の人が同じ方向を向き、同じ対象に熱中し一つになる瞬間や、絶望の中から希望の光を見出せた時です。

ただ、楽しかった一方で、一年間を通じて、応援が勝つに与える影響はごく僅かで、99.9%はプレーする選手の活躍だと感じました。

応援が良かったから勝つということはないと思っていて、0.1%の影響を及ぼせられるかだと思っています。

そこに精神を捧げることで、目に見えない運命を変える力がもしかしたらあるんじゃないかなと、応援バカの自分は青春ごっこではなく毎日本気で信じて応援しています。

照れ隠しで応援について熱くないように普段は話したりするのですが、実際は応援の事を考ない日は無い程の応援バカです。



【龍口健太郎としての生き方】


ー令和の虎で設立する会社について語られていました。具体的には今後何をされるご予定ですか?



人類を熱くします。みんなが自分らしくいられるように僕が応援をして肯定してあげたいと思っています。

直近は株式会社令和応援団の設立です。鎌倉由比ガ浜で事務所も構えました。

企業や学校さんへの声を大きくしたり、発声や自分に自身が持てるようになる応援のセミナー事業、日本のスポーツ応援をもっと盛り上げるような選手を後押しする活動、そして後輩や若者の指導も請け負いひとりひとりが自分に自信を持てるような社会を作ります。

令和応援団としての団祭も企画し、日本の伝統的な応援文化の継承発信を行います。

応援×龍口健太郎として、全て共通しているのは人を楽しませ、人を励まし、人を熱くしたいということです。

だから僕は何かをしている人ではなく、龍口健太郎として生きていきたいです。

そして、今の僕が構成されたのは、間違いなく4年間の応援団のおかげです。

応援団はイメージが古臭かったり、怖いイメージなので、現在部員0人の廃部になっている学校も増えてきましたが、僕はOUENという日本の素晴らしい文化を残したいと思っています。


なので、世界に応援文化を発信したいと思っています。



ー最後に読者の方々に対して、何か伝えたいことはありますか?



生まれたことの意義に答えを出せず、こっちの方が良さそうだからとか、知名度が高いからという理由で多くの選択をすることがあると思っています。

直感や、自分の好き嫌いではなく、なんとなくの感情です。

でも僕は、これをやっていてなんとなく楽しい、これはなんとなく嫌いだ、という心の声に耳を傾けてほしいと思っています。

心の声に蓋をしてしまうと心は自分に何も語りかけてくれなくなります。

周りからお前はしょぼいよ、と言われても、自分のやっていることに誇りを持つ。

フォロワー数とかいいねは虚栄でしかなくて、一番大切なのは、自分に誇りを持っているかどうかだと思っています。

だから、人生の岐路に立った時は、自分の心の声に耳を傾けてその声をじっくり聞いてみてください。

蓋をしてしまっている人は、必死に蓋を開けてください。

そうするとまた、心の声が聞こえてくるはずです。編集後期


誰よりも応援の力を信じる龍口さんの言葉に心を震わせられました。令和の虎でもお話しされていましたが、真の応援は生で見てこその感動があるものだと思っています。龍口さんの言葉に心を打たれた方は是非とも龍口さんがいる会場まで足を運んでみてください。体験したことのない感動があるはずです。龍口さんありがとうございました。

(企画/構成/インタビュー/編集:山田 浩太)


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