アオイエ創業者対談-僕らがアオイエを作った理由-前編 | メンバーブログ | アオイエ

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アオくんの家

アオイエ創業者対談-僕らがアオイエを作った理由-前編 2019.03.11(Mon)

現在、東京9軒、京都3軒の計12軒が存在する、コミュニティハウス アオイエ。

コミュニティハウスアオイエはみんな表現者をコンセプトに掲げ、年齢やバックグラウンド、職種の違う住人が共に生活を送るシェアハウスです。

アオイエを立ち上げたきっかけ・想いをアオイエ発起人の青木、篠原にききました。前編/後編(3/13公開予定)に分けて、お送りいたします!

前編では二人の出会いからーアオイエを立ち上げるまでを語っていただきました。



>山田

アオイエ立ち上げの背景をお話しいただく前に、まずお2人の関係性を聞かないことには語れないと思うんですが、関係はどこから始まったんですか?



>大和

大学1年生の頃かな。

今から5年前くらいに祐太から突然フェイスブックで連絡が来たことがきっかけです。

僕は当時かなり調子にのっていて、高校生からメディアにも多く出ていたので、そこそこ有名人でした。

今思うと本当に良くないことだったと思っているんですが、自分からは積極的にコミュニケーションは取らないタイプだったんです。

一方で、祐太は大学に入学してアクセル全開で本当にどこにでも行っていました。

驚くと思いますが、その頃はまだ虫が好きであることを誰にも伝えていなかった頃ですね。



>祐太

その頃、虫が好きなことは一切誰にも言えていませんでした。

自分のアイデンティティがなかったので、アイデンティティのない自分が生きていることを実感するために、とにかく人から認めてもらうことしか方法がなかったんです。

承認欲求の塊のような状態でした。

本音の自分をさらけ出すと、人にどう思われるのか気になってしまうので、本音ではない部分で承認欲求を埋めるしか方法がなかったんです。

なので、有名な人に認めてもらったり、何か凄いことをやっている人と友達になるために、時間のある限りいたるところに行っていました。振り返ればそんな時期もありました。(笑)
篠原祐太(Yuta Shinohara)

1994年、地球生まれ。慶應義塾大学卒業。昆虫食伝道師。現在は、虫料理の創作から、ケータリング、ワークショップ、執筆、講演と、幅広く手掛ける。中でも世界初の「コオロギラーメン」は大反響を呼び、お店開業に向け準備中。メディア出演も多数。狩猟免許や森林ガイド資格保持。『食は作業ではない、冒険だ』



>山田

出会った当時の2人はどういった関係性だったんですか?



>大和

本当にどこにでもいて、凄いやつだなと思っていました。

逆に僕はどんなに少なくても、一週間に数本は取材を受けていましたし、選挙特番にも最年少で出て、天狗になっていましたね。今では恥ずかしい思い出です。(笑)



>祐太

大和は僕にとって憧れの存在でした。

同世代でこんな奴がいるんだという衝撃を受けたのを今でも覚えています。



>大和

その頃は深い話をするというよりもお互いをただ認識している関係でした。

学校ですれ違っても挨拶をする程度です。

それから深い仲になったのは、僕が本郷よるヒルズというシェアハウスに住んでいたことが大きな理由になっていると思います。

よるヒルズのことは後程詳しくお話ししますが、そこでは先輩から「調子に乗るなよ。学生界隈では有名かもしれないけど、全然大したことないぞ。」といつも言われていました。

各年代でそうそうたるメンバーが住んでいたんですが、その中の一人に復興王子と呼ばれている藤沢烈さんがいました。

烈さんはまだSNSがなかった学生時代に、リアルSNSのような形で赤羽で学生が集まるモモノキというバーをやっていたんです。

そこで集まった人は今でこそ、メガベンチャーの役員やスタートアップの立ち上げををしているそうですが、無名の学生時代はモモノキに集まって将来や夢について語っていたという話を聞いていました。

3.11の震災があったときも、各社で出世していたメンバーが集まって、復興支援を考えて東日本復興財団を作り緊急での対応をしていたことも聞きました。

その経験がある方々から、「駅から近くて広いリビングがあるよるヒルズに、学生が夜遅くに集まっても、俺らがうるさくて寝れないとかは絶対に言わないから、とにかく若い人のハブになるような場所を作った方がいい。しかも、それが出来る実力があると思うし、大和が誘ったらみんな来てくれると思うからここをそういう場所にしろ。」と言われました。

利害関係がないうちにそうした関係を作れと本当に散々言われていましたね。

それから僕は小規模で友達を呼んで鍋会やイベントを開催していました。

徐々に口コミで人が集まって来て、その中でたまたま祐太と一緒にイベントをやることが数回ありました。そこから自然と仲が深まっていきました。

アオイエの一番最初の住人も、よるヒルズで開催した94年会で出会った人が半分近くいます。



>祐太

今思うと、みんなそれぞれの場所に行って活躍しているから、振り返ると懐かしくなるね。青木大和(Yamato Aoki)


1994年、東京都出身。慶應義塾大学卒業。株式会社DADA代表取締役CEO。所属するコミュニティが人のあり方を決めると気づき、2016年新しい形のコミュニティをデザインするコミュニティハウス「アオイエ」をオープン。2017年9月に法人化し、代表取締役就任。現在は、これから訪れる「超移動社会」に向けて“ 不動産ではなく可動産 ”を掲げ、動く家の「バスハウス事業」を開始。



>山田

「本郷よるヒルズ」はどんな場所で、なんでそこに住んでいたんですか?



>大和

きっかけは僕が18歳の頃でした。

現在NEW PEACEの代表をしている高木新平さんが、10代から70代までの各世代が1名ずつ住むシェアハウスのオープン準備をしていた頃です。

新平さんのネットワークで10代以外はそうそうたるメンバーが集まっていて、ちょうど物件を借りてから2週間が経った頃に、誘われて住み始めました。

当時、僕が代表を務めていたNPO法人があり、その団体を含め15団体の代表が呼ばれて合同記者会見をするイベントがありました。

その合同記者会見が終了した後に新平さんに突然声をかけられました。

ワンボイスキャンペーンというネット選挙解禁の仕掛けを新平さんが当時やっていて、Twitterで有名人だったので当然新平さんのことは知っていました。

金髪の怖い人が前から突然歩いてきて、「プレゼンが1番良かったよ。政治系なのにスライドとかデザインとかもイケてて良いね。」と言ってもらえたんです。

めちゃくちゃ嬉しくて、喜んでいたら、「何歳なの?」と聞かれて「18歳です!」と言ったら、「東大から徒歩3分の場所に住んでいるから今から遊びに来ない?」という感じで誘われて、そのまま家に行きました。(笑)

家に向かう途中によるヒルズの構想を聞いて、10代を1人募集していることを知りました。

「興味ある?」と誘われ、その時点で既に住む気満々でした。

家を案内してもらい、内装も綺麗で、その当時決まっていたメンバーと一緒に住めるチャンスを逃したらこれは終わりだなと思って、即答で興味あります!と答えました。

ただ、「ここは公募制じゃなくて、住人からの紹介がないとダメだから一旦持ち帰るわ」と言われて焦らされたんです。(笑) その日のうちに、「明日面接会があるから来てくれ」と連絡があったんですが、翌日到着すると見るからに若い10代の子がたくさんいたんです。

この激戦に勝ち抜くためにどうするかを考え、朝まで起きてめっちゃくちゃ夢を語ってアピールしました。

そしたら、「やっぱりお前が1番おもろいわ。」と言われて住めることになったんです。

その時、両親の許可を取っていなかったので、家賃や生活費を全て自分でやりくりするというルールで家を出て、よるヒルズでの生活が始まりました。当時よるヒルズで行われた94年会。



>山田

そこからどうして2人は一緒にアオイエを立ち上げることになったんですか?



>大和

よるヒルズに祐太がよく遊びに来ていて、僕はその後ひきこもりや入院で動けない時期が数年続いていました。

そろそろ何かやりたいと思い、退院したタイミングで、前々からお互いやりたいと話していたシェアハウスをやることに決めました。それがアオイエの始まりです。



>祐太

本郷よるヒルズに通っていたこともあって、シェアハウスは純粋にいいなと思っていました。

更に、僕はシェアハウスが大好きで、当時から都内のシェアハウスを多く巡っていたんです。

多くのシェアハウスを見る中で、自分の中で理想だと思えるシェアハウスは自分で作りたいという想いが沸いてきたんです。

そして大和と自分にとって理想のシェアハウス アオイエを立ち上げました。



>山田

アオイエにはどんな想いが込められているんですか?



>祐太

今もですが、当時(大学3年の頃に)やりたいことや夢を持つ仲間と切磋琢磨していきたいと思っていました。

夢を持つ仲間が一緒に生活をすればお互い応援できるし、上手くいかず心が折れそうな時は支えられるんじゃないかなと。

ぶっちゃけ、それぞれが別の環境に住んでいると、カフェやイベントで会って盛り上がり、頑張ろうぜ!とはなりますが、口座を見たら残高がないとか、明日やることも決まっていなかったり、不安になることが多くありました。

「家」という自分が一番長い時間を過ごす場所では、ぐーたらする姿や弱みが見えます。

そこで、お互いの弱い部分も理解し合えてこそ、本当に支えられる関係性が生まれるんじゃないかなと思っていました。

それはきっとカフェでは作れないし、コミュニティスペースでも作れません。

何かの集まりでもない日常の「家」という、その人のコアな部分まで踏み込めるような場所じゃないと、本当の意味で応援することは厳しいよねと話していたんです。



>大和

そこは最初から一致していたよね。

そして改めてどんなメンバーと住もうかなと考えた時に、お互いがただただ一緒に住みたいと思う、夢を持ったメンバーが集まりました。



>山田

物件が実際にオープンしてからの生活はどうだったんですか?思い描いていた作りたい場所と現実との間に乖離はなかったんですか?



>祐太

実際は、作りたいシェアハウスが細部まで明確だったわけではなくて、一緒に住んでいる住人と一緒に探って作っていくという感じでした。

どういう家にするのかを、毎晩住人同士で一緒に議論しながら進めていきました。



>大和

楽しさしかなかったね。

当時僕は引きこもりで、やることがなかったので毎日家にいてNetflixを見ていました。(笑)

その当時の様子を住人の秦にフェイスブックで書かれたこともありました。


https://www.facebook.com/aoie.tokyo/posts/285540241842068

いやー、懐かしいね。

さっき遡ってたら、懐かしい写真が出てきたよ。(笑)オープンした当時の様子。



>山田

そんな初期のアオイエを振り返ってみて、忘れられない思い出はありますか?



>祐太

アオイエのオープニングパーティーを10月11日に開催しました。

2、3ヶ月間みんなで話し合いをして、アオイエの方向性も見えてきたので、本格的に周囲にアオイエの世界観を知ってもらおうという意図です。

どうせやるなら自分たちが出来る限界までやろう!となり準備期間も3週間程で短かったんですが、準備期間を含めてすごく楽しかったです。



>大和

忘れられない思い出しかないけど、オープニングパーティーの時は300人ぐらい来たよね。(笑)

申し訳なかったんだけど、人が家に溢れてほんとにギュウギュウで、入れなくて帰る人もいました。

今では人数を制限しているので、大勢の人が家に来ることは一切ありません。(笑)

オープニングパーティの後は、北海道移住計画を企てていました。

「希望の国のエクソダス」という、街に人を集めて社会を変えていくあらすじの本を読み、夢を追う世界観をシェアハウス一軒ではなくて、街から作りたいと思っていました。

まだあの時描きたかった世界は諦めてなくて、必ず実現するので見ていて欲しいですね。



>祐太

かなり真剣に実現可能な自治体を調べてプレゼンしにも行きました。

オープニングパーティーが終わったその日にみんなでフライトを予約して、キャンピングカーを借りて北海道を旅しました。



>山田

アオイエを作ってよかったなと思うことは例えばどんなことがありますか?



>祐太

全部よかったね。



>大和

逆に悪かった事ってあるかな。(笑)

悪かったことは思い浮かばないね。



>山田

それでは、良さが伝わらないのでもう少し深く教えてください。(笑)



後編(3/13公開予定)に続く。



後編はこちら。


https://www.community-house.jp/blog/show/69

アオイエがまだ二軒だった頃の夏合宿(photo:Mizuki Ono)



(企画/インタビュー/編集/構成/山田浩太)


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